Dance
制作年: 2022
サイズ: 72 × 91 × 4 cm
エディション: 1点物、ユニーク
サイン:あり









About the Work
- 制作年
- 2022
- サイズ
- 72 × 91 × 4 cm
- エディション
- 1点物、ユニーク
- サイン
- あり
- 額装
- なし
- 作品証明書
- 未設定
- 作品の販売元
- The Chain Museum
- 発送元地域
- 未設定
- 発送までの日数
- 未設定
- カテゴリー
- ミクストメディア
- スタイル
- 抽象, デジタル
Work Details
VRで描かれた3Dのオブジェクトやドローイングは、版画の技法によって平面に定着する。
リアルとバーチャル、AIと人間といった二項対立のようなものは、絵画というメディウムによって物質に変換される。 人間の技術や科学の進化は我々の想像力を拡張するかもしれない。しかし、私たちの体は何万年も前の狩猟民族 の体から何も変化していない。
スマートフォンを当然のように私たちは使用するようになり、多くのイメージや情報を我々は簡単に共有できる。そ のデバイスは私たちの皮膚のように、あたかも昔からあるように感じられる。インターネットが生まれ、より私たちは多 くの恩恵を得てきた。その歴史を遡ると、版画のような古い複製メディアに辿り着く。
その歴史は絵画を複製するために生まれた版画から、印刷技術、写真や映像、インターネット、そして空間を複製 するメディアであるVRが挙げられる。VRは現実の対となる仮想空間である。しかし、それはフィクションである。なぜ なら、その空間はスクリーンの中の3Dオブジェクトでしかないからだ。まるで私たちの目が複製されたようにそのデバ イスは振る舞う。
私たちの欲望が複製技術の発展を促進させた。しかし、その欲望が違う形となって現れるとき、欲望から生まれた 暴力性を超え、生物としての普遍性に回帰するだろう。
幸も不幸も感じられないどうしようもない垂れ流しの毎日の中で、美術表現は何を引き受けて何をもたらすのか。
『多頭一身の怪物』に動員され続け、欺瞞と嘘が錯綜する現代社会で私たちは何者かになれるんだろうか?
展覧会名:1998
工藤時生、澤田光琉、GORILLA PARK、松田ハル、渡邊涼太
会期:2022年5月7日(土) 〜 6月12日(日)
会場:GALLERY ROOM・A
住所:東京都墨田区本所2-16-5 KAIKA 東京 by THE SHARE HOTELS 1F STORAGE 1
交通:都営浅草線「浅草駅」徒歩8分 「本所吾妻橋駅」徒歩9分、都営大江戸線「蔵前駅」徒歩9分
休館日:なし
営業時間:08:00~23:00
観覧料:無料
Exhibition Information
- 過去の展示
- 「1998」 出展作品一覧ページ2022.05.07 - 06.1219982022.05.07 - 06.12
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Artist
アーティスト
1998年生まれ。筑波大学芸術専門学群版画専攻卒業後、京都芸術大学大学院グローバル・ゼミに在籍。版画とVRを組み合わせた、「VR版画」を制作している。現実と仮想の空間を鑑賞者が体験することで、新しい鑑賞体験を展開している。 Statement あらゆるものには二項対立を孕んでいる。それは一つの言葉が成り立つためにはそれとは相反する言葉がないといけないからだ。そしてそれは最終的に生と死のような極端なものに辿り着くだろう。つまりあなたが生きる理由を欲するとき、あなたが死にたい理由をも欲している。しかしあなたはその欲望を、おそらく同時には知覚できない。 私はあらゆる芸術が作り上げてきた歴史に懐疑的だ。美術史として紡がれてきたものの大体が、ある理想を謳うためだけのものに感じられるからだ。それらは魅惑的な言葉で、私たちにその正当性を説く。中でも、抽象表現主義がその理想として掲げたのは、新たな絵画言語の創出によって人間の感情そのものを表現することであった。しかし、その現前し得ないものは、私たちの前に絵画というオブジェクトとして現前している。芸術家は意味のないものに意味を付与させ、新たな価値を創り出す。当然そんな行為はフィクションである。私は芸術家だ。だから私は全力で嘘をつく。あなたがそれを嘘と思えないまで。 芸術を私が信じることができるなら、それはフィクションではない。しかし、複製技術が発達した現代では芸術においてオリジナルかフィクションかといった二項対立の存在は曖昧になっている。しかし、芸術作品が私にとってある必然性を伴って現れるとき、それをリアルなものだと信じる。しかし同時に、私は人間の欲望によって生まれた複製メディアに対して懐疑的なのだ。それらは、絵画を複製するために生まれた版画から始まり、印刷技術、写真や映像、インターネット、そして空間を複製するメディアであるVR(virtual reality)が挙げられる。VRは現実の対となる仮想空間である。それは私たちがこの現実空間に存在しているからこそ生み出される二項対立である。しかし、それはフィクションである。なぜなら、その空間はスクリーンの中の3Dオブジェクトでしかないからだ。つまり、我々は没入する要素としての空間を想像してしまったのだ。 その融解した二項対立が現前することを、私たちにフィクションへの没入、「想像」という手段で可能にしてしまうことをVA(virtual abstraction)と呼ぼう。その仮に想定された抽象は、今、あなたがここにいる現実/仮想を融解する。そうしてあなたは仮想と現実の空間どちらにも参与してしまう。マーク・ロスコは自身の作品について「絵画ではなく場を作った。」と表現した。抽象性とは、ある二項対立へ参与することに対する想像そのものである。そしてそれはあなたを二重にすることを可能にしてしまうのだ。 そうしたあらゆる二項対立を麻薬のように刷り込ませて私たちは生きている。けれどあなたがそのフィクションに気づき、その融解をあらゆる場所で知覚する時、VA(virtual abstraction)は現れる。そうなることを私はここで表明する。その世界を想像する。想像するのだ。 そうしてそれもまた、フィクションだ。
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本作はGALLERY ROOM・Aで6月12日までご覧いただけますので、ご覧いただけると嬉しいです!