A:B
制作年: 2024
素材・技法: 紙
サイズ: 206 × 136 × 15 cm
エディション: 1点物、ユニーク
サイン:あり

About the Work
- 制作年
- 2024
- 素材・技法
- 紙
- サイズ
- 206 × 136 × 15 cm
- エディション
- 1点物、ユニーク
- サイン
- あり
- 額装
- あり
- 作品証明書
- 未設定
- 作品の販売元
- 川島桃香
- 発送元地域
- 未設定
- 発送までの日数
- 未設定
- カテゴリー
- 絵画
- スタイル
- 半抽象, 抽象, 哲学・ヴァニタス
Work Details
戯曲は最も人間に近い言葉だと思う。上演する目的で書かれた言葉は、誰かによって発せられるために作られている。だからこそ音としての意識や息づかいまでもが、他のどの言葉よりもありありと感じられる。言葉になったものと、言葉になる前のものとの狭間をゆらいでいるようだ。
誰しもが抱える、この星との一生のお別れを意味する訣別という蟠りは、他者を真剣に受け取ることで、祈りに変わる。このことをテーマに、他者を真剣に受け取る様を、「A:B」、「A=B」、「A∩B」の3つのパターンから、それぞれを題目とした短編戯曲を書いた。「A」=わたしと、「B」=あなたの、閉ざされたちいさな会話劇である。この戯曲は、板の上で演じられることを目的としていない。野原や山の麓、海の側など、個人の会話が繰り広げられやすく、かつ2人の会話が2人だけのものになる場所を想定した野外劇である。これは、観客がいてはじめて成立するとされている演劇を、パーソナルなものとしている。そのため、この戯曲が仮に上演されることとなっても、観客は存在しない。観客のいない2人の会話劇だからこそ、世界は成立しうる。
そこから、この短編戯曲を画面上で芝居をするように絵に落とし込んだ。この出展作品は、戯曲から絵画に移行するという複雑な過程を経た作品である。
芝居は、確かに他者のものであるはずの言葉が、ほんの一瞬、自分のものになる瞬間がある。それは言葉になる前のものを、言葉でなぞるような行為に近しい。 一方で絵は、芝居のようだ。線を重ねていくうちに、徐々に輪郭が現れては消える。そのうち、ほんの一瞬光が差す。その光が画面に現れたときにはじめて、ようやく誰かと分かり合えたような感覚がする。偉い人が正解で、私たちが間違っているということはあり得ないのだと、そう強く主張できる唯一の手段に思える。
言葉と絵の関係は、言語と非言語という面では対極にあるかもしれない。だからこそ、双方を結ぶことに意味があるはずだ。同じ言葉でも伝え方によって印象が変わってしまうように、言葉は言葉そのもの以外の影響が大きい。その言葉以外の表現に、わたしは絵を選ぶ。自らの言葉が、目の前の他者であるあなたの形を縁取りながら変化していくといった、ただそれだけの日常生活の延長を、画面上で上演する。
そうすることで、なぜ、わたしが、あなたが生きているのか、その答えが微かに見えてくると信じている。
動画
木炭紙に木炭、鉛筆、オイルパステル
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Artist
アーティスト
川島桃香の制作は、「喪失が生じた後においても、実体のない他者を愛し続けることは可能か」という問いから始まる。彼女の作品において「君」と呼ばれる存在は、もう二度と会うことはほとんど叶わない特定の個人に向けた呼称から始まり、徐々に喪失された他者全体の象徴として立ち現れる。その不在がどのように私たちの内部に留まり、変容し続けるのだろうか。川島は、記憶という不定形な存在の変貌を、絵画・インスタレーション・詩・テキストを中心とした表現によって表出することを試みる。ジャック・デリダは『アーカイブの病』において「記憶は保存の過程で本質を失う」という逆説を指摘した。この構造は川島の制作と深く結びついている。「君」を記憶・記録しようとする行為は、同時にその本質を変容させ、あるいは喪失させてしまう可能性を孕んでいる。しかし、この矛盾に向き合い続けること自体を、愛するという営みのひとつとして捉えている。また、テキスト表現においても「君」と「私」の対話や反芻の有限性を基軸に据えている。自身の言葉を絵画やインスタレーションへと変換することで、言語と非言語のあいだに生じる越境しきれなさを、「翻訳のずれ」として捉える。何度も言語と非言語を行き来することで、翻訳のずれが埋まったり、逆に広がったりする。その様が表象したい「君」の不在になるまで繰り返す。近年は記憶の中の他者を縁取るために、防炎フィルムや防犯フィルムといった半透明〜透明な支持体を選ぶことが多い。これらは生存や防御に関わる素材であり生存を選択する者が手にするものである。作品は光源の位置によって表情を変え、ひとつとして同じ姿を保たない。こうした変化は、生存を選択し続ける限り変容し続ける存在のあり方を想起させる。一方で、防炎素材の上に油彩という可燃物を重ねる技術的な矛盾は、「君」を描き続けることそのものの矛盾を映し出している。川島は、この逆説を抱えながらも「君」の不在を形にし続けている。形あるものとして留めようとすればするほど、作品は「君」そのものではなくなっていく。しかし、それでもなお、作品において「君」と名付け続けることによって、「君」を代替不可能な存在のことを信じていたいのだ。
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