POPEYE
制作年: 2021
素材・技法: その他
サイズ: 162 × 130 cm
エディション: 1点物、ユニーク
サイン:未設定




About the Work
- 制作年
- 2021
- 素材・技法
- その他
- サイズ
- 162 × 130 cm
- エディション
- 1点物、ユニーク
- サイン
- 未設定
- 額装
- なし
- 作品証明書
- 未設定
- カテゴリー
- 絵画
- スタイル
- 動物
Work Details
"起点、ハワイ"
「なぜかそれが一番ホッとする風景だった」
2020年、僕は海辺を夢見た。
僕の趣味はシュノーケリングで、海の中ではいつも全てから解き放たれた自由を感じていた。
ただ今はそこに行けないという実感が、焦燥感や違和感へと変わり、青い絵具で海辺や島を描きたいという欲求に変わった。
そこで雑誌やネットなどでハワイのビーチなどのいかにもという様な写真を手に入れ(最初は観光地の宣材写真の様なモノをただ描きたかった!)ただ壮大でテンプレート的な景色を描き出そうとした。
なぜかそれが一番ホッとする風景だった。
ちなみに僕はハワイへまだ一度も行ったことがない。
“neverland"
「何かは特定できないけれど、”とあるどこか”であることははっきりしている」
ただ美しい風景を眺めたままにうまく描くことが僕は一度もできたためしがない。
何というか頭の中の断片的な記憶や映像が、雑念の様に次々と顔を出し、キャンバスに描く風景に介入してくるからだ。
旅先に貼ってあった名も知らない女優のポスター、フリーマーケットで見つけたシュールなおもちゃ、スマートフォンで眺めたナイアガラの滝、何千回も見つめてきた動物の顔。
瞳の記憶が渦を巻く。
それらはこべりつく様に否応なく頭の中でコラージュされ、チープなシュルレアリスムの様な風景へと世界が変貌していく。
僕はこの感覚世界をneverland="架空の島"と名付けた。
出来上がったこの島は何であるかは特定できないけれど、”とあるどこか”であることは頭の中ではっきりしている。
抽象的だが妙に具体的な感覚で、僕にとってはとてもリアルな世界に思えた。
瞳の記憶が新しい記憶を呼び起こす。
見つからずの島は次々と発見され、しるしのように頭の中で点在し、問いかけの眼差しを僕に向けてくる。
その問いかけは合わせ鏡のように増幅していき、そのモノの意味を失っていく。
意味を失えば失うほどそのモノは輪郭をハッキリしてゆく。
海から陸へ、陸から街へ、街から人へ、人から記憶へ、記憶は小宇宙へ。
連鎖は続いていく。
まだ見ぬ世界、まだ見ぬ島、見つからずの島。
探索と発見は続く。
Artist
画家
東京藝術大学大学院美術研究科修了 ペインターとして絵画を制作し、国内外で展覧会を多数開催。 BEYOND THE BORDER ,Tangram Art Center ( 上海・SHANGHAI) の展覧会では世界的に活躍する Zhou Tiehai やオノデラユキ、辰野登恵子、石内都、鷹野隆大らと展示を行う。 2018 年には香取慎吾らと共にグループ゚展 “NAKAMA de ART” を開催。 同年 6 月に公開された犬童一心監督作品『猫は抱くもの』では美術の監修を行い、翌年には霞ヶ関ビル,31 Builedge 霞が関プラザホールにて個展を開催した。 また作家活動の他に音楽活動や企業のアートディレクションやCMも手がけ、自身のバンドookkでは作詞、作曲、Voを務める。 「見ることについて」 "見ることで見つめられ、見つめられることで見える" 動物という存在は人間にとって古くから使われている最も身近な比喩です。 ラスコーの壁画に始まり、キャラクターに転用したり、日常会話では「あいつは猿みたいだ」というように人は人をしばし動物に例えます。 動物を用いて人を表現することで、より人らしさを広く表すことができるのではないかと思うのです。 同時に私は絵画を鑑賞物というものではなく、実体的にも、心象的にも”鑑賞者を見つめる絵画”として描いています。 ですから鑑賞者が鑑賞する(見つめる)という行為と共に、その絵画に”見つめられる”という、鑑賞者と絵画の精神的な反復運動が生まれます。 その時、その絵画の存在は誰しもが共有できるものとなり、同時に匿名的で普遍的な、観る人の個性を映し出す存在、「自分を知る鏡」となるのではないでしょうか。 見ることで見つめられ、見つめられることで初めて見えるのです。 その"見えるもの"こそが私が本当に知りたいこと、探求していることなのではないかと思うのです。
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絵の具代と、飼い猫チッチのご飯のグレードアップに使わせて頂きます。