hasaquick drift No.1
制作年: 2021
素材・技法: キャンバス
サイズ: 80 × 100 cm
エディション: 1点物、ユニーク
サイン:未設定

About the Work
- 制作年
- 2021
- 素材・技法
- キャンバス
- サイズ
- 80 × 100 cm
- エディション
- 1点物、ユニーク
- サイン
- 未設定
- 額装
- なし
- 作品証明書
- 未設定
- カテゴリー
- 絵画
- スタイル
- 抽象, 哲学・ヴァニタス
Work Details
反転するメディウム・スペシフィティ(2020年以降のドローイング、ペインティングについて)
制作者にとって、絵画の支持体である画布の平面性やその薄さ、軽さ、収納しやすさは具体的な問題 であり続けている。当然それは画布に限ったことではないが、今の私には画布についての知見しかほ ぼないのである。 コロナ禍において在宅での活動がメインとなる中で、限られたスペース、限られた時間を以って制作に 臨む際に必要なことは、ただ「Quickさ」だけである。そこでは姿勢を豪快に旋回させることも、時間 をかけ重層的にそれらの諸要素を構築することも不可能である。ただ日々の中で(あるいはある種過 剰で反復的な夢の中の体験で)培ったものを、その空いた時間とスペースで速記するようなものだ。 シュルレアリストのオートマティズムのようなものと思われるかもしれない。その通りなのだと思う。 しかし、それを駆動するのは無意識だけではない、具体的な眼前のスペース、そこで散乱するモノ、駆 り立てる時間的制約、生存を伝える(伝えようとする)パルス。反復的な速記・速記・速記。記録すべ き事態の速記。 あのラオコーン群像でさえ蛇に巻き付かれているあの「含蓄のある瞬間」を生き続けている。生存を伝 える。いつ・どこで・誰の・何を・なぜ・誰に・どのように。これらの問いが絵筆となる。 それらの諸条件と諸事態が制作におけるメディウム・スペシフィティである。作品としてのメディウム はそれ自体が諸スペシフィティの賜物である。self = medium = poiesis
Quickが成立するのであれば、絵具の配分、腕のストロークや呼吸は自ずと制御されうる。 手が絵具で汚れたのならば、洗面台まで行って洗わなければならない。仕事がまだ残っている。
Artist
山之辺ハサクィは哲学の一領域である美学、特に18世紀ドイツの啓蒙思想家G.E.レッシングの『ラオコーン』について研究を行い、2009年に東京芸術大学大学院美術研究科を修了。その後も『ラオコーン』及びその影響の系譜について関心を持ち続け、2016年後半より “Towards a Newest Laocoön”を志向した制作を開始した。2019年からは美術理論・批評と機械学習の領域を横断する制作に取り組み、画像生成による造形に挑んでいる。2020年のコロナ禍以降は在宅という制約もあ り自宅での速記的なドローイング、ペインティングの制作を中心として継続し、新たな制作のモードを展開している。 <アートワールドは解決を待っている魅力的な問題でいっぱいだ> これは、エリック・S・レイモンド『ハッカーになろう』にある「この世界は解決を待っている魅力的な問題でいっぱいだ(The world is full of fascinating problems waiting to be solved.)」という章題をもじったものだが、問題を問題視することの問題史を紐解くのであれば、この「魅力的な問題」というものが本当に我々にとっての「魅力」となり得るのかはいささか検討を必要とすると言えるかもしれない。 山之辺ハサクィは哲学の一領域である美学、特に18世紀ドイツの思想家G.E.レッシングの『ラオコーン』について研究を行い、2009年に東京芸術大学大学院美術研究科を修了。その後も『ラオコーン』及びその影響の系譜について関心を持ち続け、2016年後半より“Towards a Newest Laocoön”を志向した制作を開始した。現在は美術理論・批評と機械学習の領域を横断する制作を行なっており、Convolutional Neural Networkを活用した造形とその考察に取り組んでいる。 機械学習を用いた直近の制作においては以下をテーマの一部としている。 <①平面における奥行きの確定不可能性(Indeterminacy of depth in a plane)> イリュージョンの喚起を目的としないような平面絵画の造形であっても、そのイメージに含まれる陰影や造形の大小によって我々は「奥行き」を志向するようだ。しかしニューラルネットワークを利用した生成されたイメージにおいてはそのような「奥行き」の志向を撹乱させ新たな「含蓄のある瞬間」を生み出すことができる。そもそも『ラオコーン』の用語である「含蓄のある瞬間」は、美術家が動作のどの瞬間を切り取るべきかという議論の中で、時間軸上の前後を喚起するような豊かな断面を切り取るべきだとされた。一方新たな含蓄のある瞬間においては空間軸の含蓄のある”瞬間”を問題とする。 <②機械学習による新たな画像の標本採集> これまでの画像論では言語化されてこなかったいくつかの特有の画像様式が確認される。それらへの言語化と作品としての純化を試みている。 <③『ラオコーン』と今日の『ラオコーン』> 『ラオコーン』およびその系譜に位置する書籍の読解と、2019年に刊行されたLifschitz and Squire編“Rethinking Lessing's Laocoon”の読解を行い。近代の土台がない中で芸術を行なったことに起因する「悪い場所」とも形容される日本の現代アートの中でどのような試みをすべきか思案している。
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