「Owl(right)」
制作年: 2022
サイズ: 145.5 × 112 cm
エディション: 1点物、ユニーク
サイン:あり




About the Work
- 制作年
- 2022
- サイズ
- 145.5 × 112 cm
- エディション
- 1点物、ユニーク
- サイン
- あり
- 額装
- なし
- 作品証明書
- 未設定
- 作品の販売元
- The Chain Museum
- 発送元地域
- 未設定
- 発送までの日数
- 未設定
- カテゴリー
- 絵画
- スタイル
- 動物
Work Details
今回はArt Room、Japanese-style Room(畳の部屋)はどちらも2ベットなので、作品も宿泊客を象徴するような対になるものを制作しようと考えました。
Art Roomに飾られた左右のフクロウや、Japanese-style Roomのバクはこの空間に滞在する方々自身とも捉えられます。 ちなみにArt RoomではJapanese-style Roomと比べシックで暗めの空間なので、モチーフはフクロウだと直感的に感じました。 フクロウは眠りの象徴であり、知恵の象徴です。 夜行性の鳥であることから「眠り」の擬人像と古来から捉えられ、大きな瞳は全貌を遠くまで見渡すことできるため、俯瞰的に冷静に物事を捉えることに長けた存在として人々に崇められていたそうです。 眠りが足りない際人々は疲弊しますし、近視眼的になればなるほど人々は混乱し、無知になります。 その際一番恐ろしいことは自己の姿、在り方がわからなくなることだと私は思います。 現代を生きる私たちは自己という存在と適切に向き合えているでしょうか。 自己と向き合うとは自己の真の姿を客観的に知る他ありません。 その為人々には自己を見つめる"鏡"が必要不可欠だと思います。 ちなみにここでいう鏡とは何も物理的な反射を指すのではありません。 自己の内面を映し出し、気づきや発見を与えてくれる鏡の存在が必要だと私は思うのです。 ではその鏡とは具体的にどのようなことを指すのでしょうか。 それは自身が他者やモノ、自分以外の存在と真摯に見つめ合うことです。 そこで生まれる発見や愛しさのようなものこそが、自己を知る、自己を見つめる唯一の手立てだと私は思うのです。 ちなみに見つめるということを考える際、私は白洲正子さんのこの言葉を忘れないようにしています。 「愛をもって見つめるのではなく、見つめるがことが愛なのだ」 わかったつもりで見つめても、それは他者のみならず、自分自身を発見すること、本当に愛することはできないのだという言葉なのだと私は感じています。 このArt Roomで滞在し、あなたが隣にいる親愛なる者の瞳を見つめた瞬間、フクロウはその愛しいリフレクションを見守り、見つめ続けています。
展示場所:Art Room (201号室)
住所:〒130-0004 東京都墨田区本所2-16-5
アクセス:都営浅草線「浅草駅」徒歩8分 「本所吾妻橋駅」徒歩9分、都営大江戸線「蔵前駅」徒歩9分
電話: 03-3625-2165
※KAIKA東京の公式HPのプラン予約より、「アートルーム」を選択いただきご予約をお願いいたします。
Exhibition Information
- 過去の展示
- 山脇 紘資「Art Room」&「Japanese-style Room」2022.03.04 - 07.31
View in a Room
How to Buy
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Artist
画家
東京藝術大学大学院美術研究科修了 ペインターとして絵画を制作し、国内外で展覧会を多数開催。 BEYOND THE BORDER ,Tangram Art Center ( 上海・SHANGHAI) の展覧会では世界的に活躍する Zhou Tiehai やオノデラユキ、辰野登恵子、石内都、鷹野隆大らと展示を行う。 2018 年には香取慎吾らと共にグループ゚展 “NAKAMA de ART” を開催。 同年 6 月に公開された犬童一心監督作品『猫は抱くもの』では美術の監修を行い、翌年には霞ヶ関ビル,31 Builedge 霞が関プラザホールにて個展を開催した。 また作家活動の他に音楽活動や企業のアートディレクションやCMも手がけ、自身のバンドookkでは作詞、作曲、Voを務める。 「見ることについて」 "見ることで見つめられ、見つめられることで見える" 動物という存在は人間にとって古くから使われている最も身近な比喩です。 ラスコーの壁画に始まり、キャラクターに転用したり、日常会話では「あいつは猿みたいだ」というように人は人をしばし動物に例えます。 動物を用いて人を表現することで、より人らしさを広く表すことができるのではないかと思うのです。 同時に私は絵画を鑑賞物というものではなく、実体的にも、心象的にも”鑑賞者を見つめる絵画”として描いています。 ですから鑑賞者が鑑賞する(見つめる)という行為と共に、その絵画に”見つめられる”という、鑑賞者と絵画の精神的な反復運動が生まれます。 その時、その絵画の存在は誰しもが共有できるものとなり、同時に匿名的で普遍的な、観る人の個性を映し出す存在、「自分を知る鏡」となるのではないでしょうか。 見ることで見つめられ、見つめられることで初めて見えるのです。 その"見えるもの"こそが私が本当に知りたいこと、探求していることなのではないかと思うのです。
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