Sunny

制作年: 2018, 2019, 2021, 2022, 2024, 2025

素材・技法: その他

エディション: 1点物、ユニーク

サイン:未設定

Sunny
Sunny
Sunny

About the Work

制作年
2018, 2019, 2021, 2022, 2024, 2025
素材・技法
その他
エディション
1点物、ユニーク
サイン
未設定
額装
なし
作品証明書
あり
スタイル
コンセプチュアル, ミニマリズム, 抽象, 日常, 社会・政治・歴史, 幾何学, その他
ハッシュタグ

Work Details

STATEMENT

本作《Sunny》は、「コミュニティとは、一つの大きな屋根の下にあるのではなく、複数の小さな屋根が重なり合うことで生まれる」という視点に基づいて制作されました。傘を屋根の最小単位と見立て、それらを重ね合わせてドーム状の空間をつくることで、観客はその内と外を自由に出入りできるよう設えられています。また、使用されている傘は、公共施設やカフェなどで「忘れられてしまった傘」を借りてきたものです。再制作のたびに会場周辺や展覧会コンセプトに沿った場所から集められます。

 

Exhibition History of《Sunny》

2025年 「体を成す からだをなす – FRAC Grand Large収蔵作品セレクション展」, 銀座メゾンエルメス, 東京

2024年 「Pop Up Play Polychrome」, Climbing Mulhouse Center, ミュルーズ, フランス
2024年 「du jeu dans les formes」, Chapelle des Jésuites Rue du Lycée à Saint-Omer, サントメール, フランス

2022年 「deSign of the times」, De Spil, ルーセラーレ, ベルギー

2021年 「UNE JOURNÉE EN UTOPIE」, Le Familistère de Guise, ギーズ, フランス

2019年 「Kodomo no Kuni – Replay」, FRAC グラン・ラルジュ・オー=ド=フランス, ダンケルク, フランス

2018年 「Kodomo no Kuni – 日本における子供時代と遊び場」, オンド芸術センター ミクロ・オンド, ヴェリジ・ヴィラクブレ, フランス

 

PREHISTORY

1:集団での表現について

1-1:複数の屋根の重なり

私は少年時代のさまざまな集団的活動から、社会のあり方を学んできました。義務教育を終え、成人になり、家庭をもって、それらが少し複雑化することはありましたが、私の根本的な眼差しは変わっていません。それは「一つの大きな屋根が与えられたときではなく、複数の小さな屋根の集積によって全体がつくられるとき」に、いつも美しさを感じることです。簡単に言えば、デパートよりもフリーマーケットの方が面白いと感じ、ライブハウスやホールでのきっちりした演奏よりも、複数の路上演奏者の距離が近すぎて、まるでセッションをしているかのように聞こえてしまう状況の方がワクワクするような感じです。つまり、私にとって集団というものは、所属や属性の集まりのことではなく、個人や個性がはっきりした状態の中で、それらが渾然一体となる瞬間、まさに偶然に形成されてしまう何かなのです。そのようなものに、私は小さい頃からある種の美しさを見出してきました。

1-2:集団での活動から学んだこと

特に私は、多くのことをサッカーから学んできたと思っています。残念ながら、プロになれるほどの特別な能力は身につきませんでしたが、学校生活の中で常にサッカーと関わってきました。これはアートというものからは一見すると遠い存在に思えるかもしれませんし、少し回り道の説明になるかもしれませんが、私はその経験から「集団」と「個性」について話を始めたいと思います。サッカーにおける個性と集団の議論といえば、選手をもとにフォーメーションを組むか、あるいはフォーメーションに選手を当てはめるか、といった議論が最もわかりやすい例です。しかしここで私が話したいのは、いまだに進化し続け発見が重ねられる戦術や、特別な能力を身につけたフットボーラーたちの化学反応についてではありません。むしろ、もっと過酷ともいえる「集団における自己決定と理解」についてです。

そもそも私の高校時代の部活には監督やコーチがいなかったため、自分たちで練習メニューをつくっていました。これならまだ平和でしたが、自分たちで大会の登録選手やスターティングメンバーを決める必要がありました。それは多数決のような民主的な方法で決定することもできたのかもしれませんが、少数意見を排除するような決定プロセスでは、多数派でさえ納得できないだろうという共通理解があったのだと思います。そこで、毎日の練習の中で議論の要素を増やしながら、メンバー決定の締め切りまで議論を続け、プレーの中で一人一人が納得していくしかありませんでした。いまでこそ子どもの自主性が叫ばれていますが、当時を振り返ってもこの方法で全員が納得できたのかはわかりません。少なくとも、この経験から、私は決定そのものよりも大切なものがあることを知りました。それは、決定を理解するための準備です。サッカーという身体的なスポーツであったからこそ、頭で納得するだけでなく、プレーの中で身体的にも理解することができていたのだと思います。全員がプレーヤーでありながら全員が全体を見なければならない経験、つまり自分自身を含めつつ全体を構成するという視点が、最も難しく、かつ最もエキサイティングであることを私は知りました。同じような経験は、オーケストラでのヴァイオリン演奏や、文化祭でのミュージカル公演からも得ることができたのだと思います。このように、自分の強い視点を保ちながら行う集団的な表現は、私の「社会」に対する思いをより強いものにしていきました。

1-3:最初の表現行為

私は子どもの頃からのこのような経験を、さらに探求したいと思い大学への進学を考えました。そこで現代美術というものに出会い、初めて作品のようなもの制作しました。18歳の高校生だった私は、友人たちに学校の校庭へ集まってもらい、その際に好きな傘を1本持ってきてもらうようお願いしました。それが、私にとって最初の個人的なアートプロジェクト《Project Umbrella》(2003年、東京都立青山高校)でした。このとき傘を選んだのは、それを「人間にとって最小単位の屋根」と捉えていたからです。当時の私の技術では、作品の中で動的な要素を扱うことはできませんでしたし、クリストによる同名のプロジェクトが存在することも知りませんでした。加えて、そもそも作品や発表という概念自体がなかったと思います。それでも、このプロジェクトは、集団の中での「表現」を強く意識して扱うきっかけとなった出来事でした。

《Project Umbrella》

artist:Kohei Sasahara

year:2003

place:Tokyo Metropolitan Aoyama High School

 

2:作家活動の継続の仕方

2-1:作品の作り方

私はこの《Project Umbrella》を制作したあとに、東京藝術大学美術学部先端芸術表現科で学びました。(大学生の頃は、望んでいたとおり「個人と集団」の表現について大学内外で数多くのことを学びましたが、この話はまたどこかで)

大学卒業後には日本国内だけでなくオランダやチェコなど、さまざまな場所で発表する機会に恵まれました。テーマは相変わらず「個人と集団」に関するものであり、屋根の集積を扱ったプロジェクトやインスタレーションも複数発表することができました。

また、ディスプレイスメントのコンテクストを踏まえたり、取材活動を起点として作品をつくりあげるスタイルも身につけていきました。特に、足をつかった取材活動の先で、ミニマルなアウトプットに落とし込むという点では、少しずつ評価される機会が増えていきました。

《Open Scale》

year:2008

artist:Kohei Sasahara

exhibiton : Market Party

place : Foundation Kaus Australis(Rotterdam, Netherlands)

 

《Shake, Lights, Bay, Beach.》

year:2012

artist:Kohei Sasahara

exhibiton :

place :

 

2-2:作家活動の継続

一方で、キュレーター主導による展覧会や、ビエンナーレ形式の展覧会構成、またはコマーシャルギャラリーによる商業主義的な展示会に声がかかることはほぼありませんでした。そのため、私はインディペンデントな形で展覧会をつくることでしか、作家活動を継続できない時期を長く過ごしてきました。

とはいえ、単にお金を払って場所を借り、個展を開催するというアリバイ的な活動では自己完結に終わってしまい、あまりに面白みに欠けると感じていました。そこで、いろいろな相談にのる形で、展覧会を行う団体を立ち上げるところから始め、予算を得るための根回しを行い、展覧会のテーマを設定し、招待作家を選定し、リーフレットをデザインし、会場構成を行い、そして最終的に自分の作品をようやく出品する――そうした中小規模のグループ展の機会を創出することでしか、自分の作品を発表することはできませんでした。

そのためか、私の作品そのものよりも、展覧会を成立させるために培わざるを得なかった「企画・運営能力」に対するオファーをいただくことが少なからずありました。作家として十分に評価されない私は、そのオファーを受ける際に「ついでに」少し自分の作品を展示する、という形で作家活動を続けてきたのです。

 

3:作家のいない展覧会

3-1:なりゆきのうつくしさ

そのような中で、2017年に京都芸術センターで展覧会を企画する機会をいただくことになりました。これはもともとコンペティション形式で、若手キュレーターの発掘・育成に焦点を当てた「キュレータードラフト」という企画内での展覧会案募集でした。私は「スポンテイニアス・ビューティー - 作家のいない展覧会 -」という展覧会案で応募し、30案の中から選ばれることとなりました。

この企画は、私がこれまで作品を発表する際に必然的に担わざるを得なかったこと、そしてその過程で身についてしまった「不要な筋肉」に焦点を当て、「作家のいない展覧会」を作家自身がキュレーションするという挑戦的な試みでした。審査員の難波祐子氏および京都芸術センターのスタッフの皆さまには、この企画を実現できたことについて大変感謝しています。この企画を選ぶというのは難しい決断であったと、私自身も理解しています。

さて、この展覧会は、京都を7つのセクションに分け、それぞれをリサーチすることから構成するものでした。私自身はキュレーターとして、この展覧会を通して「アーティストは誰か?」という問いを投げかけることを目指していました。具体的には、京都の伝統工芸の職人さんが制作工程の中で廃棄する素材を譲り受けたり、名もなき観光客からTシャツにサインをもらったり、住宅の建具といった産業廃棄物を会場にコンテンポラリーアートのようにレイアウトしたりしました。

会場構成もかなり自由に設計し、観客が「展覧会の可能性」について考えるきっかけとなるよう心がけていました。そして、この展覧会で本作《Sunny》の原型が発表されました。

3-2:はらんでいた矛盾

「作家のいない展覧会」というタイトルでキュレーションを試みましたが、ある種の「笹原晃平という作家が、『作家のいない展覧会』という作品をつくった」という、呪縛にも似た視点とどう向き合うかが、私にとっての個人的な課題でした。これをより詳細に検討するために、7つの作品のうち2つについては、「過去の自分の作品を、自分は作家ではなかったのかもしれない」という視点で提示しました。この方法は、これまで私自身が作家として企画し、発表してきた活動について、「果たして本当に作家としての立場が理想的だったのか」を再検証するために選んだアプローチでもありました。

2つのうちの1つ目は「Tic Tac Tum」という作品で、京都芸術センターのボランティアスタッフの方々にお願いし、各家庭の時計を展覧会期間中にお借りして一堂に並べるというものでした。各家庭ごとに生じている時刻のわずかなずれを、世界時計のような形で見せる作品であり、秒針のずれや異なるタイミングで鳴るベルの音が、それぞれの家庭の多様性を表すという構成です。この作品は、もともと2012年に山口で企画したグループ展「アーキテイルズ ― 空間と物語をめぐる現代美術展」で、《Someday, that place in time.》というタイトルで発表したものでした。展示では、その作品を改題し、再構成して提出しました。

3-3:構成の検討

もう一つの作品が《Sunny》であり、これは遡ること14年前の、私の最初のアートプロジェクトをもとに制作しました。前述の通り、高校生の頃は友人たちに好きな傘を1本持ってきてもらいましたが、今回の「作家のいない展覧会」では、もう少し異なる角度から制作を行いました。このとき特にフォーカスしたのは、傘の収集です。傘という最小単位の屋根を集めて大きな屋根をつくるという基本構造は変えずに取り組みつつ、より「選択」を減らすことで、より匿名性の高い何かが生まれるのではないかと考えていました。そこで、京都の飲食店を中心とした施設にお声がけし、展覧会期間中に「忘れられた傘を借り受けて展示する」という試みを行いました。

2017

exhibiton : Spontaneous Beauty

place : Kyoto Art Center(Kyoto, Japan)

photo : Matsubayashi Teng

傘を集めている段階では、最終的にどのような形にするかは決めておらず、実際に展示会場へ持ち込んでから形をつくることにしました。展示の選択肢としては大きく3つを想定していました。私の分類では、インスタレーション、ミニマル、そしてアーキテクチャーの3つです。インスタレーション案は、すべての傘を天井から吊るし、観客が空っぽの床を自由に歩きながら傘を見上げるスタイルでした。ミニマル案は、とにかく床に傘を置き並べ、観客が傘と傘の隙間を歩きながら鑑賞するというものでした。そして三つ目のアーキテクチャー案は、傘をドーム状に組み、中と外を行き来できるようにするもので、最終的にはこの案を採用しました。この決定に至った背景には、展覧会全体への作品としての寄与度が大きく、少し空間を楽しむ形式を持たせた方が、会場全体の雰囲気にとっても良いだろうという考えがありました。展覧会自体がバランスを取る必要のある構成だったため、このような形に落ち着いたのです。しかし、この作品における取り組みの本質的な面白さは、やはり傘を集めるというプロセスそのものにあったと感じています。

3-4:忘れられた傘

最終的な展示方法がどうであれ、キュレーターとして、あるいは作家として展示空間で傘を見せる際には、必ず何らかの選択や決定を行う必要があります。だからこそ、あらかじめ集める素材については、できる限り誰の意思決定も介在しない状態をつくりたいと考え、傘は傘でも「忘れられた傘」を集めることにしました。これは、誰かが好きな傘を持って場に集まるという状況とは正反対であり、「人々が無意識のうちにどこかに置き忘れてきてしまった」という事象と向き合うことで、より作家としての特権性を薄められると考えたためです。当初はビニール傘ばかりが集まるだろうと思っていましたが、実際には多種多様な傘が集まり、十分に多様性を表現できる結果となりました。どの位置にどの傘を配置するのか、一つひとつの傘にどのような意味付けを行うのかといった実務的な部分については、展示の現場でいくつかの方法が新たに生まれましたが、基本的にはこの作品は展覧会タイトルである「スポンテイニアス・ビューティー」 を最も端的に反映する企画のひとつとなりました。

 

4:作品になっていくプロセス

4-1:展覧会への招待

その後、Vincent Romagny 氏が企画する一連の展覧会「Kodomo no Kuni」展に、何らかの形で作家として参加するお話をいただき、氏とのディスカッションを経て、本作《Sunny》を出品する運びとなりました。日本の遊び場をさまざまな角度から総括的に捉えることをテーマとした展覧会の中で、作家としての役割について改めて考えさせられる場面は何度もありましたが、私は自分自身の少年時代と公園との関わり、そして本稿で述べてきたような作家活動を始めてからの物事への向き合い方に、真摯に専念することにしました。

「Kodomo no Kuni」展において本作《Sunny》を出品することになった経緯は多岐にわたりますが、もっとも特筆すべき点として次の2点が挙げられます。それは「私の少年時代における公園とのスポンテイニアスな付き合い」と、次章で扱う「大阪のEXPO70における屋根と芸術の問題」という2つの側面です。

4-2:スポンテイニアスなつきあい

まず、「私の少年時代における公園とのスポンテイニアスな付き合い」について話ていきます。この根底にあるのは、「人々の素晴らしいアイデアや行動は、最初の計画や本来の使い方から外れたときにこそ生まれる」という思いです。私が子どもの頃、地元の小さな公園で友達とよくサッカーをしていました。しかし、そこには白線もゴールもなく、フィールドの形も長方形ではありませんでした。私たちは公園内のトイレをゴールに見立て、敷地の境界をフィールドとみなし、自然に調整されたルールのもとでサッカーをしていました。誰かが明確に決めたわけではありませんが、私たちはその小さな公園で、計画もなくサッカーを楽しむことができていたのです。

私たちの周囲には、優れたデザイナーや建築家、アーティストたちによって設計された仕組みや計画があふれていると感じています。もちろん彼らのことは尊敬していますが、一方で、それらを必ずしも決められた通りに使う必要はないと考えています。そこにあるものは、思いついたままに使えばよいと思っています。

4-3:自然が人工物だったはなし

さらに小さい頃、物心ついたときから、私は近所の同年代の子どもたちと毎日のように山登りをして遊んでいました。山登りといっても、公園の中にある標高10メートルほどの小さな山のような茂みでしたが、そこには背丈まである緑が生い茂り、蝶が舞い、カブトムシが採れるなど、当時の私には十分な自然が広がっていました。私は毎日そこで泥だらけになり、身体中に傷をつくりながら、日暮まで遊んでいました。

しかしある日、その公園に立ち入ることができなくなりました。いつも遊んでいた山は、実は古代の王様の墓であり、その調査のために立ち入り禁止になったということでした。「そこで遊んではいけない」と言われたこともさることながら、普段遊んでいた場所が前方後円墳という立派な古墳であったことの方に、私は大きく驚きました。その封鎖から何年か経ち、調査は終わり、その古墳は復元されて公開されましたが、当然のように木々は伐採され、綺麗に石が積まれ、真新しい埴輪や甕が並べられました。見るからに立派な古墳になっていましたが、私はどこか寂しさを覚えました。

この出来事をきっかけに、私は古墳に興味を持つようになりました。小学校3年生の自由研究では、近隣の古墳群を自転車で巡るフィールドワークを行い、将来は考古学者になりたいと思っていたほどです。古墳という人工物が、数千年の時を経て、少年の目には完全な自然として立ち現れていた――その事実を、私はその時に理解していたのだと思います。

公園をサッカー場として使うことも、古墳を自然として遊び場にすることも、少年時代の私にとってはすべて成り行きの結果でした。私は作家になってからもずっと、芸術を芸術として扱わないことや、美術館を美術館として使わないほうが、よっぽど文化的に楽しくなるのではないかと、常に思い巡らせています。このように、ものごとを成り行きのままに使い、そしてその自然な手つきに美しさを見いだすこと――私はこれを「スポンテイニアス・ビューティー」と呼んでいます。

 

5:展覧会ごとに付与されるコンセプト

5-1:傘をどこで集めるか?

次に「大阪のEXPO70における屋根と芸術の問題」についてです。本作《Sunny》を最初に計画した際、私は京都市内のカフェやレストランで忘れられていた傘を使用しました。それは、カフェやレストランという場所が、いわゆる準公共施設のような性質を持っていると感じたからです。展覧会「スポンテイニアス・ビューティー」は京都をテーマに据えており、私は7つのテーマと、それに対応する7つの作品を制作しました。本作《Sunny》は「喫茶と失念」というテーマに沿った作品であり、展覧会において効果的なインスタレーションであったと同時に、傘を収集するための取材活動は私にとって非常に興味深い経験でもありました。

「Kodomo no Kuni」展に出品するにあたり、私は大阪府内の公園から傘を収集することを試みました。しかし、ほとんどの公園には屋根付きの施設が存在しないため、プロジェクトの初期段階では傘をまったく手に入れることができませんでした。そんな中、万博記念公園のスタッフの方がこのプロジェクトに興味を持ってくださり、企画書をもとに説明を行う機会を設けていただきました。そして最終的に、万博記念公園からいくつかの傘を借りることができました。

5-2:Kodomo no Kuni と万博記念公園

私は万博記念公園との具体的なつながりを持ったことで、改めてこの公園について考えてみようと思いました。特に、展覧会のタイトルである「Kodomo no Kuni」が横浜の「こどもの国」という施設から由来していることは以前から知っていました。加えて、日本各地に点在する小規模な公園のリサーチにとどまらず、第二次世界大戦後の日本の社会的背景や、日本唯一の建築運動であるメタボリズムに言及している点は、私個人にとっても非常に興味深いものでした。この文脈の中で、横浜の「こどもの国」だけでなく、同一設計者である浅田孝氏が基本計画を手がけ、複数のメタボリズム建築家が関わった万博記念公園について考えることは、今振り返れば必然だったと感じています。何より、今回の傘収集という実際的な活動において、万博記念公園と関わらざるを得ない状況にあったことは、私にとってもこのテーマを避けて通れない必然性を強く感じさせるものでした。

日本を代表する建築家である磯崎新氏は、大阪万博に関わった際、メイン広場に巨大な水平の屋根をデザインしました。当時、会場デザインは紆余曲折を経て、最終的に岡本太郎氏の太陽の塔がその「空間内」に設置されることとなり、太陽の塔は悠然と屋根を突き破って、現在も天高くそびえています。ある論点では、これを「芸術による建築の敗北」とする見方もありますが、私自身は、奇怪な彫刻が屋根を突き破ることの物語的な面白さは感じつつも、同時にレトリックに満ちすぎていると感じています。磯崎氏は、原爆投下後の広島の廃墟の中に佇む平和記念講堂を見て、「未来都市は廃墟である」と直感したと、さまざまな講演会で語っています。その後、丹下健三氏のもとで大阪万博に携わった際にも、「誰もが未来のユートピア都市を思い描いていたが、そんなユートピアは存在しない」と改めて述べています。

大阪万博から半世紀が経過した現在、私は万博記念公園から自転車で30分ほどの場所に住んでいます。そして、この「未来都市は廃墟である」という、日本建築史におけるエポックメイキングな言葉は、都市計画的な視点からの発言であり、あくまで一つの言葉に過ぎなかったと理解しています。私は、街というものが、一人の芸術家や建築家、デザイナーだけによって形作られるものではないと考えているからです。こうした思いから、私は万博記念公園とその周辺に焦点を当て、傘を収集するに至ったのです。

5-2:廃墟の未来都市でも私たちは暮らすということ

最終的には、万博記念公園の施設や周辺のカフェ、アミューズメント施設、病院、ホテル、体育館、駅などを訪れ、そこに暮らす方々と多くの会話を重ねながら、合計で300本近くの傘を収集することができました。傘を譲り受けるという行為は、ある意味では形式的なものに過ぎなかったのかもしれません。しかし、その過程で近隣に住みながらも知らなかった多くの事実や背景を教えていただきました。普段アートに触れる機会のない方々へ、作品の意図や概要をゼロから直接説明することは、私にとって「作品とは何か」を深く考えるきっかけとなりました。

「Kodomo no Kuni」でのインスタレーションは、「未来都市は廃墟である」という大きな言葉に直接答えるものではありません。しかし、今回の傘の収集を通じて、「すべての廃墟には人々の日常生活から生まれる未来がある」とはっきり言えるようになったと感じています。これは、どのように計画しても、たとえそれが廃墟だとしても、それを使う人は、使って欲しいように使わないし、なによりそれを美しいと思う私がいるのです。「子供の国」という言葉は、現代の子どもたちが遊ぶための場所を指すと考えられがちです。しかし、私たち自身もかつては子どもであり、その遊び場は常に、何らかの意味で廃墟から立ち現れた場所であったと、私は信じていたのでした。

 

6:コレクションされること

この「Kodomo no Kuni」展覧会シリーズへの出品によって、完全に作品となった《Sunny》ですが、その連続展の最終会場こそ FRAC Grand Large – Hauts-de-France(ダンケルク)でした。そして、この展示がきっかけとなり、《Sunny》は私の作品としてFRACのコレクションとして迎えられることになりました。(本文章の1〜5は、この時の収蔵品コンセプト制作で英文記載していた文章の日本語訳になっています。)

コレクションといえど、「借りてきた傘」を素材としたインスタレーションという特性上、コレクションとして収蔵されるには、やや無茶な面もありました。けれどもむしろそこを面白がっていただき、本作は「インストラクションシート」(指示書、展示のためのプロトコル)というかたちで正式に収蔵されています。実際には、前回の展示で返却不要となった傘や、展示に使われた構造体などの物質も収蔵品目に含まれますが、重要なのは「作者が立ち会わずとも制作が可能な形」で、作品の仕様がきちんと文書化されているという点です。収蔵の可否は有識者による審議会後に決まりましたが、最終的に決定連絡をうけたときに「よくこれを収蔵したな・・・」と、私自身かなり驚いたのを覚えています。

その後も驚きは続き、収蔵後すぐに《Sunny》はFRACによる積極的な活用が行われました。さまざまなプログラムを実施するFRACでは、フランス国内外の美術館や公共施設に毎年のようにレンタルし、現地のチームによって再制作が繰り返されはじめました。とくに私への連絡を収蔵要件には入れていないため、友人から「いまベルギーで展示しているの?」などと言われ「?」となって、急いで調べて、ようやく展覧会への参加を知るということもありました。

これは、無責任とか不謹慎とか言われるかもしれませんが、私にとっては、もはやどこか「死後の世界」を感じさせるような経験になっています。作品がFRACという公共機関に守られながら、展覧会ごとに新しい文脈を取り込み、現地の状況にインストールされていくことが、何か本当に作品が手から離れて、へんな幸福感さえ味わっているような気分で過ごしていました。

そしてFRACのコレクションとなったから数えて5回目の展示となったのは、銀座メゾンエルメス ル・フォーラムでの「体を成す からだをなす – FRAC Grand Large収蔵作品セレクション展」という展覧会でした。同展のコ・キュレーターであるエルメス財団の説田礼子さんは、これらの《Sunny》が辿ってきた経緯を深く理解してくださっていました。作品が出品リストに入ったあとすぐに連絡をくださり、今回、笹原個人が展覧会に参加するかどうか、という点を最初に話し合いました。これまで通り、仕様書を見ながら展示チームが独自に制作し、笹原は一切関与しないという選択肢がデフォルトで、むしろ、そういう死後のようなあり方こそがこの作品らしさかもしれない、と。けれども、今回は日本での初展示だし、ナンダカンダ言っても作家は存命だし、それで一度聞いてみてくださったというところでした。実際は、私はなかなか即答できずにいましたが、最終的には「展覧会会期中のちょうど真ん中にお盆が入るため、まあこのタイミングなら死者が戻ってきても許されるかな」ということで、設営やトークなどのプログラムに参加させていただくことにしました。

傘については、いろんな地域で使用し、返却不要だったものがフランスから輸送されて集まっていました。さらに、今回も例によって、展覧会場であるメゾンエルメス/エルメス財団のスタッフの皆さんが150本もの傘を集めてくださり、無事にインスタレーションが完成しました。設営も終え、トークイベントやメディア対応なども一通り終わり、展示も多くの方々にご覧いただいているようで嬉しい限りです。とくにファッション系のWebマガジンなどに、いろいろと取り上げていただいているようです。そしてちょうど、会期の中間地点となるお盆に差し掛かったこのタイミングで、本ページへのアップをおこなっています。

 

7:最後に

最後までご覧いただいてありがとうございました。このように改めて振り返ってみると、いくつかの段階が見えるかと思います。

一つ目は、私の幼少の頃からの記憶や体験、それを社会的な表現に向かわせた高校時代、考えを深めていった大学時代、不自由ななかで成立させる技術を得てきたキャリアの初期です。二つ目には、社会的な場で作品化するきっかけとなった〈Kodomo no Kuni〉展から、コレクションしていただいたFRACとの関係。三つ目に、FRACと関係団体によって、コレクションを使ってもらって永遠性に接続することです。いつも正面切って社会のことを話すことは避けているのですが、私に関わらずものすごく個人的な話が、最終的にこのような形で社会へと接続されてことは、私が小さい頃からワクワクを覚えていた集団そのもの話であり、アートや表現に対していまだ抱えている僅かな期待でもあります。

きっとフランスでこの《Sunny》を見た鑑賞者の方たちは、作者が笹原晃平という人であることや日本人であることなども知らない方が多かったのではないかと思います。銀座メゾンエルメスでの展示を見た方も多くは私のことなど知らなかったと思います。けれども《Sunny》は、これからもFRACによってきっとフランスを中心にいろいろな場所で展示されていくのだと思います。これまでも、チャペルやクライミングセンターなどでも展示されていますし今後もさまざまな場所で使ってもらうことを願っています。ちなみに、FRACは、キャラバンに作品をインストールしてそのまま輸送し詰め込み農村での展覧会を実施したり、小学校や刑務所など、さまざまな場所で展覧会を実施していますので、そういう機会がいづれ訪れることも楽しみにしています。

通常の作品の通常のコレクションとなると、破損や修復の都合で物質的な限界があります。その点、《Sunny》は、もちろん傘や構造物も収蔵要件ではありますが、完全に仕組みがインストラクションシートによって収蔵されているので、すでに傘自体の入れ替わりも見られています。このように、コレクションになって、フランスの国内外で使われ始めて、ようやく「Kodomo no Kuni」展でも触れていた「メタボリズム」としてのあつかいが可能になってきたと思っています。そのあたりの文脈からの言説がいつかできるように、まずは死後の世界から本作《Sunny》を見守っていきたいと思っています。

話はつきませんが、最後まで読んでいただきましてありがとうございました。それではまたどこかで!

※1〜5は、コレクション収蔵時の「Prehistory」の日本語訳に、僅かな加筆を行い章立ての修正を行った。

※6は、SNSでの投稿文をもとに、僅かな加筆を行った。

※7は、ArtSticker投稿のために書き下ろした。

 

VIEW OF INSTALLATION

2025

exhibiton : Faire Corps / Selection from the collection of the FRAC Grand Large

place : Hermès Maison Ginza Le Forum

photo : Nacása & Partners Inc./ Courtesy of Fondation d'entreprise Hermès

 

2019

exhibiton : Kodomo no Kuni - replay

place : FRAC

photo :

 

2018

exhibiton : Kodomo no Kuni -

place : onde

photo :

 

Artist

笹原晃平
✔︎

笹原晃平

アーティスト|インスタレーション

せんだいメディアテークにて「社会実践ポストポン」実施中!

1984年東京都出身、大阪在住|2009年東京芸術大学美術学部先端芸術表現科卒業|周辺環境への取材と場の関係性の構築から出発し、インスタレーション作品を制作するアーティスト。様々な方法論で制作を行う一方、一貫して人間の生活を探求することで、美術のみならず人類学や建築学など総合分野への接続を試みる。2019年《Sunny》がFrac Grand Large のパブリックコレクションとなる。国内外でのプロジェクト多数。|

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ご覧いただきましてありがとうございます。多くのインスタレーション作家と変わらず私も、一時的な設置物や、展示終了後に解体する作品がほとんどで、販売や収蔵が難しい作品ばかりつくっています。そのためポートフォリオを作品集として書籍化し出版販売することで、なんとかこれまで制作を続けることができてきました。みなさまからのご支援はそちらの印刷費や編集費などの費用に使わせていただければと思っております。何卒よろしくお願いいたします。

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最終更新日
2025.08.19