販売終了
制作年: 2024
素材・技法: その他
サイズ: 14.8 × 14.8 × 3.5 cm
エディション: マルチプル
サイン:なし

About the Work
- 制作年
- 2024
- 素材・技法
- その他
- サイズ
- 14.8 × 14.8 × 3.5 cm
- エディション
- マルチプル
- サイン
- なし
- 額装
- なし
- 作品証明書
- なし
- 作品の販売元
- Kozaki+Yoshino=Shohei
- 発送元地域
- 大阪府
- 発送までの日数
- 在庫状況により変動します。
- カテゴリー
- ポスター・グッズ・書籍
- スタイル
- 日常
Work Details
※時期により部分的な変更があります。
整理をしていたら久しぶりに昔の写真が出てきた、これはいつのだろう、、、子供の時の写真は幼いのである程度時代は絞れるが、これ私なのか?と自分の顔も認識できなかったのに驚く。その時その時は覚えているし自分の顔もわかっている。しかし時が経って改めてみると変化に気づく。そして、思い出す…朧に、、、。目の前に写真はあれどやはり朧にしか思いだせない。夢のようだ、、、。
確かに現実で起きたことなのに、どうすれば留めていられるだろう、どれだけ覚えていられるだろう。
私は、私が見た素敵な景色や場面を、タグ付け、お気に入りのように色々出会った風景をカメラに収める。そして、思いだせるよう、覚えていられるようにマーキングすることにした。今は、プリントした上にペインティングを行っている。
描く、掻くは『かく』の語源にあたると聞いた。
掻くは、爪で引っ掻いたり、石や木で字などを刻んだりする原初的な行為だ。
例えば熊が木に爪痕を刻むマーキングは縄張りを示し、存在を周りに伝えている。
人も同じ様に木や石・土に字や模様を刻むことで何かを示したり伝えたりすることをしてきた。そういえば、人が観光など行って何処かに落書きをするのは、縄張り意識が残っているせいなのかもしれない。
これも一種のマーキングなのだろうかと考えてしまう。とりあえず残そうとする行為は動物の本能、又は習性なのだろう。
この一連の流れ(行為)により、私はそれらをより「みた」と感じ、そして私はより現実に近づけるだろう。
写実画、点描画、抽象画、スーパーリアリズム、etc、現代の技術力があればいくらでも機械が再現してくれる時代の中、描くことの意味、必要性は薄れたのかもしれない。
絵画は物語など記録するツール、役割を担っていた。が写真の登場以降、画家は目に見えるものだけではなく、そのまわり、目に見えないもの(観念や概念的なもの等)へと対象を移していく。そういったものも絵画の画題に含まれていった。
逆に写真は見るものをすべて*並列的に記録し、余計な観念を剥ぎ取り根本・本性を絞り込む特性がありそれを生かしてきた。
だが今では写真も絵画と同じく目に写るものだけではなく目に見えないものを写そうと表現を広げてきた。であれば絵画とは使う道具が違うだけとなるのであろう。
もとは画家のスケッチの補助道具として用いられていたが、印画紙が発達してからは分かれていった。だが当初は*紙の上に写る光景の輪郭をなぞって描いて絵画になっていったのだ。つまりまた絵画と交わってもおかしくはない。
*原人間にとって「線」の対象は地平線であり木であり、円と思えるものは太陽であり月である、あるいは曲線と思えるものは川であり海岸線である。そして、ある日ある時向こうにある木々や、川の曲線を手でなぞった。木の線と手の線は目の前で一致して、一瞬木が消える。この時「私は見ている」と意識する、そして見たことを残そうと記憶、記録してきたのだと思う。
そうしたことから、プリントした上に描くという一手間を加えることで必要性や意味も自ずと生まれ、ただ描くことの良さを改めて感じることも出来るのではないか。
今のカメラ技術(デジタル写真)と絵画(Painting)を使ったら新たなるものに出会えると思った。
撮ること、描くこと、互いの事実を重ねることでより確かな事実を手繰り寄せていく。
それは私にとって新たなrealとなるはずだ。
*参考資料「自然の鉛筆」、「二十一世紀精神」より引用
A5スクエア 24p 下記サンプルページ
写真の上に一部paintingを行っています。
How to Buy
この作品の販売は終了しました。
SOLD OUT
ウェイティングリストに登録
ウェイティングリストに並び、自分の順番が巡ってくると、購入可能な作品をご案内させて頂きます。
チャットで作品購入相談
アート専門のコンシェルジュがあなたの作品購入をお手伝いします。おすすめの作品のご提案、購入でお困りのこと、なんでもご質問ください。
Artist
現在大阪を拠点に活動 写真の上に一部paintingを行っています。 グループ展 2006年 トウキョウワンダーウォール2006 2013年 第8回タグボートアワード SHOHEI×2展 /大阪 橘画廊 2018年 シェル美術賞展 大坂審査員入選 2024年 第9回Artist meets Art Fair KOBE ART MARCHÉ 個展 2012年 ギャラリー椿GT2/東京 2016年 ギャラリー風/大阪 2018年 ギャラリー風/大阪 2019年 GALLERY b.TOKYO/東京 2023年 GALLERY b.TOKYO/東京 脳内記憶解像度という言葉を聞くと、私たちが頭の中に持つ「記憶」というイメージの曖昧さと精細さについて考えさせられる。 写真やデジタル映像は、ピクセル単位で正確に風景や瞬間を切り取る。それは、現実そのものの複製であり、再生ボタンを押せば何度でも変わらない形で目の前に現れる。しかし、私たちの脳が保存する「記憶」はそれとは違う。解像度の高い写真に比べ、脳内の記憶はぼんやりとして曖昧で、時に輪郭すら掴めないことがある。 眼を閉じて昨日の夕焼けを思い出してみよう。その色彩や光の強さを正確に再現するのは難しい。記憶にあるのは、ふわりとした雰囲気や感情、匂いや温度の断片だ。それは、写真には映らない「その瞬間の体験」そのものかもしれない。 絵画表現は、この脳内記憶解像度と似た性質を持つ。写真のように細部を再現するものではなく、曖昧な輪郭や強調された感情を通して、記憶や想像の断片を形にする。例えば、モネの睡蓮やゴッホの星空は、風景そのものではなく、そこに宿る感覚や印象を描き出している。写真よりも絵画が時に記憶を強く呼び起こすのは、私たちの脳内記憶解像度に寄り添った表現だからだろう。 この「曖昧さ」こそが、記憶と写真、そして絵画表現の間にある大きな違いだ。そして、曖昧であるがゆえに、記憶は私たちに新たな解釈や物語を紡ぐ余地を与えてくれる。実際の風景が写真の中で正確に残る一方で、記憶の中にある景色は、その人の中で独自の形に変わり続ける。時には、思い出の中の一場面を描いてみることで、記憶が新たな形に書き換えられることすらある。 脳内記憶解像度は、私たちに曖昧さと想像力の価値を教えてくれる。 それは、写真が決して到達できない、私たちの内側にある記憶の芸術なのだ。
アーティスト情報を見る













今後の作品制作費、保管、維持のため、ご支援いただいたお金は大切に使わせていただきます。