Walking birds, feelimg like Monomiyusan
制作年: 2024
素材・技法: 木, アクリル, ジェッソ
サイズ: 71 × 30 × 3 cm
エディション: 1点物、ユニーク
サイン:あり

About the Work
- 制作年
- 2024
- 素材・技法
- 木, アクリル, ジェッソ
- サイズ
- 71 × 30 × 3 cm
- エディション
- 1点物、ユニーク
- サイン
- あり
- 額装
- なし
- 作品証明書
- 未設定
- 作品の販売元
- JUNO MIZOBUCHI
- 発送元地域
- 香川県
- 発送までの日数
- 未設定
- カテゴリー
- 絵画
- スタイル
- 抽象, 日常, ポップアート, ミニマリズム, ストリートアート
Work Details
言葉とは何か、我々は文字をみている。
世界はモノの配置である。
永遠と続く地面から、全てのものは生えるようにして存在している。
配置とは何か。それは俯瞰から鳥のような視点で、地面に対してポコポコとモノが誰かによって置かれているような状態だ。では我々はその世界をどの地点からみているのか。私たちは地面と平行に、それらの配置を横から眺めている。世界を視覚する時、奥行きはあるが我々は二次元的にそれを捉えている。
視覚とは、風景とは何か、本来風景には名前など存在していないし、言葉もない。
つまり「色、形、線、それらの配置によって生まれた空間」それらをみている。
なので私は、我々が生まれた時から目に映り捉えたもの全てを[風景]とよび、三次元的にモノが配置された状態があるという俯瞰の視点にたち、名前や言葉のない状態、言葉を得た我々が見ることのできない世界を「無形の風景(intangible landscape)」とよぶ。
風景を構成するものは何か、極端にいうとモノだけだが、それを一つのモノに焦点を合わせてみると、モノと背景になるだろう。モノという単体を視覚で捉えるには、これまでの(自分が生まれてから)目にうつした「風景」全てを用いて対峙をしている。つまりモノの先には風景があり、またモノへと続く循環がある。
私は「無形の風景」を、モノ(風景)との距離を考えたり、ピントをずらしたり、様々な状態で現実に作ろうと試みている。言葉や名前を解さずに、「色、形、線、それらの配置」これらだけを用いて私は鑑賞者の対象物となるものを作りたいのだ。鑑賞者の風景(思い出)と繋がることで鏡のように映し出すことのできる、誰にとっても平等な、まるで「月」のように対象物としてあり続けるものを私は提示したい。世界がどこにあるのか、目の前にあるのは世界の外殻(色、形、線、それらの配置によって生まれた空間)である。内容(世界観)は常に鑑賞者の中にある。
言葉を介さずに立体モチーフを制作。
この作品は、一つのモチーフでイメージを二つ制作した。
Exhibition Information
- 過去の展示
- SHOWCASE by ArtSticker2025.01.28 - 02.15
How to Buy
この作品は購入が可能です。
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Artist
artist
📨 junomizobuchi@gmail.com Based in Japan / Artist Works junomb.blogspot.com/?m=1 1992年香川県生まれ。京都精華大学卒業。 主に絵画作品を制作する。作品展示、アートワークの提供、壁画の制作などを行う。 単純で小さな行為により、現在の自分を感じる作品を制作する。 Born in Kagawa, 1992. Graduated from section of illustration, faculty of design, Kyoto Seika University. He mainly produces paintings and also exhibits his work, provides artworks and produces murals. He’s trying to create the work that let him find himself by doing simple and small actions. 風景画、風景写真や、例えば実際に高所から見下ろした俯瞰の風景など、〈風景〉というものを想像した時にはこのような情景を思い浮かべると思う。 人が自分の見ている視界は現実であるということを肯定した上で、これまで得た知識によって視界を理解し、認識した時に初めて風景は存在する。 私の絵にモチーフはなく、〝色や形の配置とそれ以外の空間〟により構成されている。 人が風景として認識する前から存在する〈無形の風景〉を私たちが見ることは決して叶わないが、小さな要素により構成された画面は、その風景へとつながっているのではないか。私たちが個別にもつ言葉を超えた視界に映る万物のイメージが、そこには立ち現れるのではないだろうか。 僕が描いているのはこれまでに見た風景のイメージを摘み取ったものだろう。 風景ではあるが、そのフォーカスの度合いは鑑賞者によるところである。 風景の中にある一つのオブジェクトにフォーカスするのであれば、それはモノになる。 ただ重要なのは、その先に続くのはまた風景だということだ。 Landscape paintings, landscape photographs, and a bird's-eye view from a high place etc...when you imagine a , you think of it as a scene. Landscapes exsist only when one affirms that the field of vision that one is seeing is real, and then understands and recognizes the field of vision with the knowledge learned in life. There is no motif in my paintings. They are composed of the arrangement of colors and shapes, and the space. We can never see the "intangible landscape" that existed before we recognized it as a landscape, but I think that the screen created by small elements are connected to that landscape. The image of all things reflected in the view beyond the words we individually have may appear there. What I draw is a collection of past landscapes, which extracts some image of a huge landscape. So it's a landscape, but the degree of focus depends on the viewer. If you focus on an object in the landscape, it's a thing. But the important thing is that what follows next is the landscape again.
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