
關於作品
- 製作年份
- 2025
- 材料或技法
- 油畫, 帆布
- 尺寸
- 22 × 27.3 cm
- 版本
- 獨特
- 簽名
- 包括
- 製作人員名單
- ©Moemi Nakakoji / photo credit:O Gallery eyes
- 畫框
- 不包含
- 作品證書
- 沒有設定
- 類別
- 繪畫
- 風格
- 抽象的
作品詳情
こととこ
2025, oil on canvas, 22.0×27.3cm
Private Collection
個展「絵画という自然」
Oギャラリーeyes/大阪
2025.4.14 - 4.19
ある時、降り注ぐ光の中に飾られた自分の絵を見て不思議と安心した。
本来ならば強すぎる陽の光は忌避すべきなのだろうが、刻々と変わる光によって色やかたちが蠢き、生き生きとしているように見えたと同時に、この絵が私達の世界となんの隔たりもなくそこに存在するものであり、間違いなく世界の一部であると感じられたからである。
別のせかいに繋がる窓などではなく、同じ世界に生きる、まるで生物のようであると。
自然との対話は芸術家にとり不可欠の条件(Conditio sine qua non)である。
芸術家は人間だが、彼自身、実は自然の世界におけるひとつの自然にほかならない。※
クレーの小論「自然研究の道」に書かれた一節である。
この文章における自然とは、外的な形態だけでなく内的な構造の生成・運動も含めた「自然の生成」を指しており、「人の生命感」と共鳴関係にある。
これに芸術家を当てはめると「自然の生成」と、造形作品のフォルムが形成される過程の生成と運動、すなわち「芸術家の造形行為」と共鳴が成立するというのだ。
私は何を描いているのか。それは長らく考えてきたが明確な答えは出ていなかった。
しかしクレーの言葉をきっかけに少しわかったかもしれない。
自然と私、私と作品、自然と作品との間で生じる共鳴と、生成。
私にとっての絵画とは自分の感覚の追体験、再表現などではない。
絵画という自然を作りだしたいのだ。
※引用文献:前田富士男 著「パウル・クレー 造形の宇宙」(慶応義塾大学出版会)2012 年
【作品のコンセプト】
何気なく風景を見ていると、ふと目の前のものがよくわからないなにかにみえる瞬間がある。
驚き、よく見ようとするがそれはもうみることはできず見知ったものになっている。
「なにか」は、一体何なのか。
単に見間違えただけかもしれないが、いま自分が見ている世界はこれが本当に全てで、正しいのか。
知覚していないだけで一瞬みた「なにか」がいるせかいがあるのではないかと考えてしまう。
それを見た時――見ることを意識せず無意識に全体を捉えているような時――まなざしは風景を通り越した向こう側を覗いているような気がする。
「なにか」は知覚の周りに漂っているものなのかもしれない。
そんななにかが何かになる前の、ゆらゆらと曖昧なものを色やかたちで捉えようとしている。
【作品タイトル】
≪えくる≫≪ほの≫≪ぽふと≫…何かに似ているような言葉だが、意味は分からず、まるでどこか知らない場所の言葉のように感じるかもしれない。
これらは私が実際に見ていた風景で聞こえた音と音や、作品の色やかたちから聞こえてきそうな音を並べて入れ替え、組み合わせたもので言葉自体に意味はない。
このタイトルのつけ方は、作品を制作する過程ー風景をきっかけとし、20層30層と色を重ねながら再構成しかたちを生み出すーと共通させるためである。
画面内の色やかたちは何かを意味するものではないため、タイトル自体も文脈や意味から離れ、言葉によるイメージの固定を避けている。







































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