Sayuri
Artist/書芸家
14歳の時、路上に座り人のグチを聞く「グチ屋」をしたのをきっかけに、自分の感情をスケッチブックに書き殴り始める。ある日、自分の書いたモノで友人の感情が動いたという経験をし、墨と筆をメインに書芸家として活動を開始。
企業理念、ロゴ、命名書、商品ラベルの題字代筆等、幅広く受注。
2019年パリのJapan Expoではステージパフォーマンスも行う。2020年以降、筆文字に留まらず、アクリル絵の具を使用した抽象表現も始め、即興音楽と合わせたArt制作も精力的に開始。内側から湧くエネルギーを書く。
【書き殴るCalligraphy、Inspiration Art、『今』あふれるものを】
作品
Sayuriのアート作品をArtStickerで掲載中。Sayuriのアート作品のサイズ、素材、作品コンセプトや、個展や経歴などのアーティスト情報も公開しています。
プロフィール
バイオグラフィー
----14歳のグチ屋----
中学生のころ、ある日を境に同級生から無視をされた。
思春期ではよくある風景のひとつだろう。
当時、誰にも言えないストレスをどう発散させてよいか分からず
私のことを知らない誰かに心の内をぶちまけたいと思っていた日々が続いていた。
ある日、東京の深夜に繁華街で人のグチを聞く
「グチ屋」をしているお兄さんをテレビで見た。
衝撃的だった。私も駆け込みたいと思った。
同時に、自分のように聞いてほしい人がいることに安堵した。
その衝撃は衝動になり、私を突き動かした。
1人、バスに乗り、遠くの街へ繰り出し、
スケッチブックに「グチ屋」と書いて看板にして座り込んでみる。
14歳だった。
自分と同じ人がどこかにいるのなら、私が聞く人になる。
ドキドキしながら、バスに揺られて、昼間の繁華街の入り口に向かった。
当時、声をかけてくれた人たちを今も思い出す。
いつもとは違う行動、知らない町、知らない人たち。
帰りのバスでは終わった安心感と何かをやったという高揚感で
心臓がドキドキしているのを感じた。
ところが、2回目のグチ屋で警察に止められ、
実にあっけなく私の冒険は終わった。
手元に残ったのはグチ屋の看板にしたスケッチブック。
あまったページに、思いを書きなぐるようになった。
それは私の心の拠り所となり、今でも続いている。
----友人が見せた顔----
20歳になったある日、私のスケッチブックを友人が読むという事件が起こった。
遊びに来ていた友人。
部屋を離れて戻ってきた時、スケッチブックのページを
めくる友人を見て声が出ないほど、ひやりとした。
誰にも見せなかった心の内を覗かれた。
ところが友人はポロポロと泣きはじめた。
私も同じ気持ちだったんだと、いつもリーダーのようで気丈で
明るい友人からの意外な一言に、胸を撫でおろしながら、何か許された気がした。
その日をきっかけに私は書いたものを見せるようになった。
自分が知らない世界が、ありそうな気がした。
路上に座り、言葉を書く。
飛行機の隣に座った人に、好きな言葉を聞いてみる、
雪の降る日に、寒いだろと怒鳴ってくれたお兄さん
栄養ドリンクを無言で置いてくれたサラリーマンのおじさん、
誰も立ち止まらない路上で、終わり際に温かい紅茶を買ってくれた
警備員のおじさん、いろんな出会いを通して私の心は開いた。
喜怒哀楽…感じる環境や背景は違っても、共鳴するものがある。
少なくとも、「心」に関しては。
----書芸家----
とにかく「何かを書く」ということだけをひたすらに続けてきた。
それを芸事として、私は「書芸家」と名乗っている。
それは「何かに成る」ためというよりも生きる手段の1つなのだと思う。
何を書きたくなるかはきっともっと変わっていく。
それを常に楽しみたい。
川辺に座って、小魚を発見して
鳥のさえずりを聴いて大きく背伸びをしながら、「美しい」と思った。
木々に沢山の虫や鳥や獣が住んでいるように、
マンションを眺めて「建物って木と一緒だな」と思った。
独り言を呟きながら「この声すらも、鳥のさえずりと一緒だな」と思った。
同時に、「この人生が終われば、私はもう産まれてこないのだな」とも感じた。
この風景が見れて、体を揺らしたくなる音楽があって
また会いたいと思う人たちがいて、もっと知りたいと思う人たちがいて
この星に生まれて、この時代で、同じ時に出会えて良かったなと
心から思ったら涙がでた。
溢れるものをもっと感じたい。
理由は後から探せばいい。なくてもいい。
鳥肌が立つもの。涙が落ちるもの。
理由が浮かばないものとたくさん出会おう。
溢れ出した何かを、言葉にしなくても良い。
浮かんだ言葉は愛を込めて書こう。
どんな形でも「書芸」になる。
----あふれるもの----
今では「書きたくなったものを書く」という
ごくごくシンプルなことに軸を置こうと思った。
「なぜこれを選んだのか?」
どんな行動にも、明確な答えを求められることに慣れている今。
「ただ選んだ、ふと手に取った、気づいたら掴んでいた」
そんな行動って人生で度々ある。
理由が浮かぶより先に行動しているとき体から溢れるものってある。
でも「理由を言語化できなければいけない」
いつからかそんな呪いがかかっていて、
シンプルな好きを複雑にさせるような気がして、実際私はそうなっていた。
それは小さなノイズになって1日単位で見れば気にならなくても
長い人生を引いて見ると大きな振り幅になるような気がする。
確かなことは、どんな人生を生きていこうと、
私はもう二度と生まれてこない。
どんな時にも、今見えるものを抱きしめていこう。
私は今、この瞬間にあふれてくるものが大好きだ。


