帰港シリーズの説明文を精神的側面と物理的側面の2つに分けて書いてみました。
長いけど感想や意見を聞かせていただけたら嬉しいです!
⬜︎帰港シリーズ
日本固有のアニミズムである付喪神(つくもがみ)という概念を主軸にしたコンセプチュアルアート。
⬛︎精神的側面
作者の山田勇魚(ヤマダイサナ)は日本の民間伝承である付喪神(ツクモガミ)をコンセプトに活動している。
イサナはクジラの古語で、古墳時代から飛鳥時代に使用されていたとされ、日本書紀や万葉集にもその記載がある。
付喪神は8世紀後半の仏教文化の伝来と同時期に広がった民間伝承で、長い時を経たものに神仏や魂が宿るとされている。物に魂が宿るとされる考え方自体は仏教伝来以前の古代から存在しており、物霊と呼ばれる。
使い古された製品に魂を宿す立体作品を作り続けることで現代人の物に対する感傷の希薄さやある種の執着を浮き彫りにしてきた作者は、沈没船に宿る魂の形としてクジラを選択した。
海底に沈む船の有様は、哺乳類でありながら進化の過程で生活の場を海に移し、陸地に近づこうとすると座礁し、息絶えた後に鯨骨生物群集を形成するクジラとの共通点が多い。
世界大戦で撃沈した多くの艦船は海底で朽ちつつある。彼らに魂が宿り、自由に泳げる身体を手にしたら故郷に向かうのではなかろうかと考え《帰港》というシリーズ名にした。
イサナも付喪神も1000年以上続く概念だ。
言葉も民間伝承も必要性がなければその文化圏に長く残ることはできない。
イサナという言葉は少なくともクジラが絶滅するまでは古い呼び名として残り続けるだろう。
一方、付喪神は信仰や地域社会の中で役割を担う事で今日まで残ってきたと推測される。物自体を神格化する事によって、依り代としての物が祀られた施設を共同で管理し、信仰の手伝いをする事で地域のコミュニティを保つ一助となった。縁起物やお守りへの信仰も物に魂が宿るとする考えが一役買っている。また、物を大切に扱う文化を育んできた一因でもある。
日本に生まれ育ち、クジラの古語を名前として生まれ持つ作者は、これらを基に沈没船をクジラに見立てた作品を制作することで、鑑賞者に今も海底で崩れゆく艦船に思いを馳せさせるだけでなく。自分にしかできないアプローチでの海底遺物のアーカイブを試みている。
⬛︎物理的側面
製法は樹脂注型。
透明エポキシ樹脂で象られたクジラの内部に海底に沈む船の情景が封入されている。
史上初の合成樹脂の発見はフランスの化学者による塩化ビニルとポリ塩化ビニルの粉末で1835年、初の商品化が1869年。エポキシ樹脂の発見はそこから約70年後、1938年スイスのチバ社によるもので、使用開始は1948年だ。
合成樹脂の発見以前に使われてきた石や木、土、金属、ガラス、石膏、コンクリートなどは全て紀元前から人々によって使用、研究されてきた。これらの素材と比べると合成樹脂はまだまだ発展途上の素材だと言える。
エポキシ樹脂を使用する理由は2つある。
1つは透明性、クジラのシルエットと中にある情景を同時に見せるために透明である必要がある。
2つ目は非破壊性、融点が1000度を超えるガラスや硬化温度が120〜160度になるアクリル樹脂では内容物が溶けたり破損してしまう恐れがある。その点エポキシ樹脂の硬化温度は20〜80度と低く、内容物をそのままの形で残せる。
船の造作には市販のプラモデルを使用している。
帰港シリーズ以前は使い古された製品に手を加え、妖怪のようなビジュアルにする事で付喪神を表現していた。
この手法はアッサンブラージュの流れを汲む物であり、既製品単品で制作する事が多いためレディメイド的な側面が強い。
実物を使う事で物に宿る魂というコンセプトを強化し、説得力を増そうとする意図がある。
プラモデルは実物の船ではない。だが、木や石の彫刻を依り代として祀った仏像から派生したとも言われている付喪神の成り立ちを考えれば、より源流に近い表現方法であるとも言える。
海底を表現する砂にはサンゴ砂を使う事が多いが、一部の作品では依り代としての意味合いを強める狙いでモチーフとなる船に所縁のある土地の砂を使用する事がある。
また、蒸気船の沈没現場から引き上げられた石炭を使用する事で実際の船とのリンクを強めた作品も発表している。
帰港シリーズの制作において特に多くの時間と手間をかけるのが磨きの工程だ。
その内容と行為そのものの意味についても説明する。
まずはバリ取りと荒削り、小型の作品は全て手作業だが大型の作品になるとグラインダーを使う事もある。この作業で樹脂の表面近くに浮き出た気泡を一つ一つ完全に露出させる。その大きさに応じて、スポイトで樹脂を充填するか、ヤスリで削り取るかを判断する。
表面の気泡を全て消したら面出しの工程に移る。クジラとしてのシルエットを維持しながらイレギュラーな凸凹を消していく作業だ。力加減が肝要なのでここからは全て手作業。80番の耐水ペーパーと棒ヤスリでひたすら削り続ける。
シルエットが整ったら耐水ペーパーの番手を上げていく。少しずつ細かい番手に切り替え、8000番で終了する。最後にコンパウンドで艶を出し、コーティング剤を表面に塗布して完成だ。
この磨くという行為は作品を付喪神の依り代と考えた場合に大きな意味を持つ。制作の工程としては勿論、完成後や人の手に渡った後もその時々の持ち主が定期的に磨く事で作品への愛着と作品そのものの価値、そして持ち主の精神性を高める。ある種の瞑想とも言えるだろう。
神道では鳥居や灯篭などを定期的に磨く事で神様を迎えるための清浄な場所を作ることを意味し、お水取りなどで使われる水桶や柄杓も定期的に磨かれる。仏教において仏像を磨く行為は悪い気を払い、清浄な気を生み出すとされ修行の一環にもなっている。特に禅宗では座禅に代わる瞑想法の一つとして自然石を磨く修行がある。可能な限り丁寧に長い時間をかけて少しずつ石を改善していく事で自分自身を見つめ直し、身体的にも精神的にも集中力を高め、内省的な状況を生み出すとされる。




