LUMINE 1- Shinjuku Station - MYLORD - LUMINE 2
制作年: 2019
素材・技法: ダーマトグラフ, 紙
サイズ: 24.2 × 71.1 × 2.8 cm
エディション: 1点物、ユニーク
サイン:未設定

About the Work
- 制作年
- 2019
- 素材・技法
- ダーマトグラフ, 紙
- サイズ
- 24.2 × 71.1 × 2.8 cm
- エディション
- 1点物、ユニーク
- サイン
- 未設定
- クレジット
- ⓒ Kimihiko Hino, Courtesy of Yumiko Chiba Associates
- 額装
- なし
- 作品証明書
- 未設定
- 作品の販売元
- Yumiko Chiba Associates
- 発送元地域
- 未設定
- 発送までの日数
- 未設定
- カテゴリー
- 書道
- スタイル
- 日本画・和
Work Details
Material: DERMATOGRAPH on paper
Year: 2019
Size: 21.3 x 71 cm (シートサイズ)
24.2 x 71.1 x 2.7 cm(パネル
装)
Unique
書道の基本である、「とめ・はね・はらい」が全くないのが日野作品の特徴です。ですので、使っている素材も書の伝統的な手法「墨・毛筆」ではない青のダーマトグラフです。文字の美しさや書かれた文字が表す情緒や躍動感というものも全くなく、そこには日常的に流れる時間の中で毎日目にしている風景や考えてきたことがただただ文字として現れてくるのみです。
初めてみた桜井幸子へのラブレターは恋文というよりも般若心経にしか見えなかったのですが、近所のスナックの看板が繰り返しかかれるのを見ていたら、ドナルド・ジャドの彫刻を思いだしました。
本人は同じ文字を繰り返し書くことが重要であると語っているのでやはり写経と一緒なのかもと思ったら、ジャドが同じサイズで同じフォルムの彫刻を素材や色を変えて年代を越えて制作し続けてきたことも写経なのかもしれないと、逆に新しい視点を気づかせてくれる作品です。
「LUMINE 1」「新宿駅」「MYLORD」「LUMINE2」の文字は、主に金曜の仕事帰りに寄る、職場のある新宿のラーメン屋からの帰り道に目にする。
LUMINEでもMYLORDでも買い物をするわけでもないし、特に思い入れはないのだけれど、「LUMINE 1」「新宿駅」「MYLORD」「LUMINE2」の文字の接近は、
家のある鶴川へ帰るために利用する小田急新宿駅への接近を意味していて、仮に文字がないならないでも済むのかもしれないが、
文字があることで、ビルだけなら「新宿駅」とは観念的に紐づけるほかないだろう物体になってしまう所を、「新宿駅」という実体としての保証をいくらかしてくれている気がする。
書でも書じゃなくてもよくあることかもしれないのだけれど、僕も同じ文字や言葉を何枚も繰り返し書くことが多い。例えば今回出品している3種類の文字というか言葉というかモチーフだと、2019年に捨てずに残したものでOld bar - New Friendsで49点、Restaurant GUSTO - Supermarket maruetsu -Electronics retailer nojimaで25点、LUMINE 1- Shinjuku Station - MYLORD - LUMINE 2で15点ほど書いている。
書きたいと思うような文字や言葉は、何度も目にして受容していることが多い。その分だけ繰り返し書きたくなる動機ともなっていると思う。
何度も目にし、受容している文字や言葉でも、見た日時や心情によっても見た時の様相が異なるし、見る場所、観測点が異なることでも姿を変える。同じ文字や言葉でも、その文字や言葉が存在している前提や環境が変われば、その文字や言葉の様相は変わり、変容し、その異なる様相をもって受容される。これは受容する時だけではなく、自分が受容し、その結果自分で書いた文字や言葉の在り様自体、当たり前だが都度姿を変える。
たった一つの文字や言葉を書く場合でも、そうした変容がある。書かれることで変容した文字や言葉を自分が受容できるかできないかにより、また繰り返し書くことになる。
また、一度しか目にしたことがない文字や言葉でも、何か引っかかることがある場合には、書くことがある。特に、その引っ掛かりがなんだかわからず咀嚼しきれない場合に繰り返し書いている気がする。その引っ掛かりとは、例えば「ニューフレンズ」であれば、「店主はニューフレンズに来て欲しいのかもしれないけれど、多分来てないのだろうし、もう来ないのだろうなぁ、来るのかなぁ」という、掲げられている文字や言葉とは裏腹な状況だったり、そうしたことを想像したり推測することだったり、色々ある。そうした引っ掛かりの回数に比例しているのかどうかはわからないのだけれど、枚数を重ねることになる。
書とは書かれた文字や言葉だ。では文字や言葉はどこから発せられるか。もちろん自分の内面から発せられるものではあるのだろうけれども、自分の内面とは何によって形成されるのか。それは自分が諸感覚器を通じて外部から様々な物事を受容した結果形成される。
僕が目にして、書いた文字や言葉も、恐らくは誰かが何らかの意図や思いをもって書いたものだろう。それは僕にはわからない。けれども僕が書こうと思った文字や言葉は、僕の内面にも何かしら作用し、感覚や、感情、思考、あるいは言葉の切っ掛け、言葉を書く切っ掛けを与えてくれたものだ。
それは、僕が書くのに十分な理由だと思う。
真っ先に浮かぶのは家族と、何人かの先輩や友人、知人くらいのもので、そのほか大切にしているものはすぐには思い浮かばなかったのだけれど、紙、筆、ペン、ダーマトグラフ、下敷きなどが次に浮かんだ。あと本も。道具や本に関して言えば、大切と言っても、扱いは酷いものなのだけれど。家族や先輩、友人知人については、失礼で不義理で恩知らずではあるのかもしれないけれど、出来る限り精一杯、大切にしている、と思う。
Exhibition Information
- 過去の展示
- LETTERS / ギャラリストからの手紙2020.07.01 - 07.31
How to Buy
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Artist
アーティスト
1975年 北海道生まれ
二松学舎大学文学部国文学科卒
東京在住
1994年、国語学の研究をしようと国文学科に入学したが、気まぐれに入った書道部で先輩に紹介された井上有一のコンテ書「コンテもをわり」を目の当たりにし、ただ硬筆で言葉が書かれただけの紙から目を離すことができなくなった事実に衝撃を受け、書を始める。書を、書かれる言葉の在り様であり、人がそれをどのように受容してきたかという歴史として捉え、制作を行う。






ご覧いただき有難うございます。